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名古屋高等裁判所 昭和55年(ネ)662号 判決 1982年5月31日

事件

(名古屋高裁昭五五(ネ)第六六二号)

控訴人

乙野花子

右訴訟代理人

中村亀雄

石坂俊雄

村田正人

被控訴人

日本生命保険相互会社

右代表者

弘世現

右訴訟代理人

三宅一夫

入江正信

坂本秀文

山下孝之

竹内隆夫

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人に対し金一一〇〇万円及びこれに対する昭和五四年八月二二日より支払いずみまで年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は主文と同旨の判決を求めた。

(控訴人の請求原因)

一  被控訴人は生命保険事業及び生命保険の再保険事業を業とする相互会社であるところ、控訴人の夫である亡乙野高弘は昭和四九年一一月一日被控訴人との間で保険契約者及び被保険者を高弘、保険金受取人を控訴人とする生命保険契約(災害倍額支払定期保険特約及び家族保障選択特則付災害保障特約を付加した利益配当付養老生命保険契約)を締結した。

二  本件保険契約による保険金額は、死亡保険金二〇〇万円、災害保険金二〇〇万円、特約死亡保険金八〇〇万円、特約災害保険金八〇〇万円であり、災害死亡時には右各保険金合計金二〇〇〇万円が支払われることになつていた。

三  しかるところ、高弘は昭和五四年一月二三日午後七時頃静岡県田方郡韮山町奈古谷所在の貸別荘においてプロパンガスの爆発により死亡した。

四  しかるに、被控訴人は控訴人に対し死亡保険金二〇〇万円及び特約死亡保険金八〇〇万円の合計金一〇〇〇万円を支払つたのみで、残額一〇〇〇万円の支払いをしない。

五  よつて、控訴人は被控訴人に対し右保険金残額一〇〇〇万円及び弁護士費用一〇〇万円並びに右各金員に対する本件訴状送達の日の翌日である昭和五四年八月二二日より支払いずみまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

(請求原因に対する被控訴人の答弁)

請求原因一ないし四の事実はいずれも認めるが、同五は争う。

(被控訴人の抗弁)

一  本件保険契約には、被保険者が保険契約者または被保険者の故意または重過失により死亡した場合には、災害保険金二〇〇万円及び特約災害保険金八〇〇万円を支払わない旨の約定が存している。

二  しかるところ、高弘の死亡は同人の自殺によるものである。

三  仮に自殺でないとしても、高弘は故意にガス栓を開いて室内にプロパンガスを充満させるという危険な行為を敢えてした重大な過失により死亡した。

(抗弁に対する控訴人の認否)

抗弁一の事実は認めるが、同二、三の各事実はいずれも否認する。

(証拠関係)<省略>

理由

一請求原因一ないし四の各事実については、いずれも当事者間に争いがない。

二そこで、被控訴人の抗弁について判断を進めることとする。

本件保険契約に、被保険者が保険契約者または被保険者の故意または重過失により死亡した場合には、災害保険金二〇〇万円及び特約災害保険金八〇〇万円を支払わない旨の約定が存することについては当事者間に争いがないので、高弘の死亡が被控訴人が主張するように、同人の自殺によるものであるか否かについて検討する。

<証拠>によると、高弘(昭和二七年三月三一日生)は昭和四八年五月親の反対を押し切つて文通により知り合つた控訴人(昭和二六年九月五日生)と結婚し、東京から離れて○○市で世帯を持ち、長男をもうけたが、昭和五一年九月二九日仕事上の不満から勤務先の株式会社××××を退職して単身上京したこと、上京後高弘は実家の化粧品店を手伝つた後、昭和五二年暮頃から株式会社○○○○に勤務するようになり、○○市に戻る意思はなかつたものの、控訴人とは三ケ月に一度位の割合で会つていた外、時々電話による連絡をとり、昭和五三年一二月中頃にかけてきた電話の際には、年が明ければ控訴人と長男を迎えにいくという話もしていたこと、一方高弘は友人北原守と飲みに行つたスナックでアルバイトをしていた丙野花枝と知り合いになつて同女と恋愛関係に陥り、結婚の約束までしたが、控訴人に対しては離婚の申し入れをしていなかつたこと、高弘は右のような女性問題に悩んだ末、昭和五四年一月一七日から勤務先を無断欠勤して家出し、同月二一日には一旦家人に連れ戻されたが、同夜は相当深酒をし、翌二二日朝再び家出をして同日午後七時頃静岡県田方郡韮山町奈古谷所在の貸別荘に単身赴き、偽名で二日間の宿泊を申し込んだ上、翌二三日夕刻、右貸別荘を内側から施錠して、六畳間に布団を敷き、相当量のウイスキーを飲み、同室のガス管を開栓してプロパンガスを室内に流出させたところ、同日午後七時三〇分頃電気冷蔵庫のサーモスタットの火花がプロパンガスに引火して発生したガス爆発により焼死したこと、右爆発現場付近の草むらから、一番目に丙野、二番目に父の所に連絡してほしいと記し、両名の氏名と電話番号が記載されたメモ及び高弘と丙野の写つている写真が発見されたこと、以上の事実を認めることができ、右認定に反する<証拠>は、前掲各証拠と対比して信用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定事実によると、高弘は自殺により死亡したものと認めるのが相当である。

したがつて、被控訴人は前示の約定により、前示災害保険金及び特約災害保険金の支払義務を負わないから、その支払等を求める控訴人の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなくすべて理由がない。

三そうすると、右と同旨の原判決は相当であるから、本件控訴を棄却することとし、控訴費用の負担について民事訴訟法九五条本文、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(秦不二雄 井上孝一 喜多村治雄)

《参考・第一審判決理由抄》

一 請求原因事実は、訴外高弘の死が、不慮の事故によることを除き全て当事者間に争いがない。

二 そこでまず、訴外高弘の死が、不慮の事故によると言えるか否か(被告が主張するように、自殺と言うべきか否か)、について検討する。

<証拠>によれば以下の事実が認められる。

1 訴外高弘は、昭和五四年一月一七日から勤務先を無断欠勤し(この間家出もしているが、一旦家人に連れ戻されている)、同月二二日午後七時ころ、静岡県田方郡韮山町奈古谷所在の貸別荘に単身赴き、偽名で宿泊していたが、翌二三日午後七時三〇分ころ、右別荘でプロパンガスの爆発が起こり、焼死体で発見された。

2 右別荘の戸には、内側から施錠がされていた。

3 右ガス爆発は、右別荘内に充満していたプロパンガスになにかの火(捜査機関は冷蔵庫のサーモスタットの火花と推定している)が引火した結果惹き起こされたものと見られるが、右爆発による侵襲部位の状況等に鑑みると、右プロパンガスは、右別荘の六畳の間に設置してあつた埋め込み式のガス栓から漏出した可能性が最も高い。

4 右六畳の間には、訴外高弘が就寝していたと思われる布団が敷かれていた。

5 捜査官による訴外高弘の死体検分の結果には、同人が生前相当量のウイスキーを飲み、相当量のプロパンガスを吸入していた、というデータもある。

6 右爆発現場の付近からは、「一番目に丙野の所へ連絡して欲しい、二番目に父の所へ連絡して欲しい」として、双方の名前の電話番号を記した遺書と思しきメモと、訴外高弘と右丙野の写つた写真も発見された。

7 捜査官が聞いた、訴外高弘の父や弟の話によると、同人は、○○県○○市に妻子を残したまま単身上京していたが、右丙野と懇ろになり、結婚の約束をするなど、女性問題で悩んでいた。

以上の事実が認められる。

そして、右認定の諸事実を綜合すれば、訴外高弘は、女性問題に悩んだ挙句、自殺を思い立ち、貸別荘に赴いて愛人と父に連絡を頼む旨のメモを遺してガス自殺を図るべく、酒を飲んでガス栓を開き、身を横たえて死を待つていたところ、部屋に充満したガスに電気器具のスイッチ(おそらく電気冷蔵庫のサーモスタット)の火花が引火してガス爆発が起こり、焼死した、と推認するに難くない。

訴外高弘の死は、いわゆる因果関係に錯誤(ガス吸入による中毒死ではなく、ガス爆発による焼死であつたこと)があるものの、自殺によるものと言うべきであつて、不慮の事故によるものと言うことはできない。

もつとも、かかる認定に対しては、

1 プロパンガスには毒性がないから、自殺の手段としては不自然である。

2 遺書風のメモには作成年月日が記されていないから、これを訴外高弘の死と結びつけることはできない。

3 動機も薄弱である。

4 そもそも、ガスの漏出は、訴外高弘のガス栓の開栓によるものではなく、他のなんらかの不測の事故による可能性もある。

とかいつた疑問もないではない。

しかしながら、これらの点については、

第一点については、<証拠>によると、プロパンガスに毒性がないことを知らないため、これを吸入して自殺しようとする人も少なくない。

第二点については、なによりも、そのようなメモを旅先の枕辺に遺していたこと自体が、死の直前に訴外高弘に死の覚悟があつたことを窺わせるものである。

第三点については、取りも直さず、無断欠勤、家出といつた異常な行動は、訴外高弘の追いつめられた心理状態、悩みの深さを物語るものであつて、先に見た程度の自殺の動機も了解可能である。

第四点については、先に見たように、爆発したガスは別荘の六畳の間の埋め込み式のガス栓から漏出した可能性が極めて高いから(ホースがねずみなどに喰いちぎられるとか、なんらかの衝撃で外れる、といつた事故は通常考えられない)、人為的な操作がないかぎり、ガスが漏出する可能性は極めて少ない。

とかいつた説明が充分可能であり、いまだ前記認定を左右するには足りない。

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